そふとどりんく・とーく 第6回

 清涼飲料の二十世紀

 遠い未来の話だとばかり思ってい
た西暦2000年がついにやって来た。
昨年の七月にはノストラダムスなん
て話もあったし、2000年問題で大騒
ぎしたが、無事西暦2000年を迎える
ことができた。(注1)
 さて、二十世紀も今年で終わり。
今回は某番組タイトルのパクりとい
うのが明らかであるが、清涼飲料水
に関する過去百年を回顧し、今後の
展望を考えてみたい。
 清涼飲料水の二十世紀は色に例え
ると「黒」から始まった。十九世紀
の終わり、1886年にコカ・コーラが
考案され、前後してドクターペッパ
ー、ペプシコーラが発売された。
 二十世紀の人類と共に歩んできた
どのドリンクも黒い液体。アメリカ
人は黒い液体でないと体に効かない
と思っているようなのだが(注2)、
アトランタの薬屋のオヤジが大鍋で
煮込んで作った(注3)真っ黒い不気
味な液体が、まさか世界を制覇する
なんて、当時は誰も予想しなかった
事だろう。
 そして中期から後半にかけて「黒」
から「赤」へ。もちろんこの「赤」
というのはコカ・コーラのイメージ
カラーである。どうして、この色を
選んだか。それはコカ・コーラの世
界制覇からである。
 コカ・コーラの伝播は、アメリカ
の覇権と連動している。ご存じのよ
うに、日本でコークが飲用されるよ
うになったのは、第二次世界大戦で
の敗戦後。ブロードウェイミュージ
カル「ミス・サイゴン」でも、南ベ
トナム・サイゴンでのシーンに赤い
コークの箱が効果的に使用されてい
た。(注4)
 コークは反共のシンボルとされて
いたのに(注5)、赤旗の色と同じ缶
の色のせいか、「マルクス・レーニ
ン主義の聖水」とでも勘違いしてし
まったのであろうか。社会主義は冷
戦の終結と共に廃れてしまったが、
缶の「赤い色」だけはマルクス・レ
ーニンをはじめとする共産主義者の
望み通り、世界中に広まった。
また、コークといっしょに、商業主
義化したオリンピック(注6)とビル・
ゲイツ(注7)がひたすら儲けるウィ
ンドウズが世界中にはびこる事とな
る。そして二十世紀もまもなく終わ
る。
 では、二十一世紀は清涼飲料水に
とって、どのような世紀になること
だろう。色に例えると「緑」になる
のではないかと思う。
 緑色は植物の葉の色。それはお茶
の葉の色、自然の象徴とされる色で
もある。今年からサントリーのアメ
リカ現地子会社が烏龍茶を製造する
ことも決まった。成分が企業秘密で
誰も何が入っているかわからないコ
ーラよりも、成分が明らかな茶飲料
が選ばれるのも時代の流れである。
 オリンピックも商業主義的傾向に
警鐘が打たれた。パソコンソフトも
一社が密室で独占的に開発し、利益
を得るシステムから、インターネッ
トを介し、誰でも開発に参加でき、
成果を享受できるシステム(注8)が
育ちつつある。つまり、物は「作る」
ものから「育てる」ものになりつつ
あるのだ。つまり、工業製品も農業
と同じようになってきた。そこから
も「緑」という色を当てはめたわけ
である。確かに、最近流行の「キリ
ンサプリ」も緑色基調の缶だ。
 二十世紀は戦争・殺戮の時代と言
われた。来る二十一世紀は清涼飲料
も含め、共生・育成の時代であって
欲しいと願っている。


(注1) セカンドインパクトはいつ
でしたっけ?

(注2) イモリの黒焼きと同じ意味?
ちなみに中国では、コーラに「滋養
強壮」という効能書きが書かれてい
る。薬臭くてコーラが嫌いな人も多
いが、コーラは「薬」なのである。

(注3) これ本当の話。各種の果物
やスパイスを煮込んで原液を作った。
後日、コークの権利を譲るとき、こ
の大鍋も権利の中に入っていた。

(注4) つまり、南ベトナムはアメ
リカの影響を強く受けていたという
意味。主人公がタイに亡命した時の
シーンは歓楽街。店にぶら下がって
いたのはペプシコーラの看板。第三
世界に強いペプシが、アメリカの影
響をあまり受けていないことの象徴
として登場している。ベトナム統一
後、先に工場ができたのもペプシ。

(注5) 共産主義の側から見ると、
「アメリカ帝国主義の毒の水」。

(注6) コカ・コーラはオリンピッ
ク一番のスポンサー。

(注7) この人、コーク大好き。

(注8) オープンソース運動と言う。

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