缶長室へようこそ!
Photo by 村井 勇(アトリエ・ムライ)
缶長専用車の紹介へ

経歴書

氏名
久須美 雅士(くすみ まさし)
生年月日
1962年3月2日(金)
出身地および居所
新潟県新潟市
 (新潟県新潟市横七番町一丁目にあった渡辺助産院で出生[当時の本籍は新潟市古町通四番町638番地]→新潟市寄合町→新潟市白山浦→新潟市山木戸→新潟市天神尾→新潟市五十嵐→宮城県栗原郡瀬峰町→神奈川県鎌倉市小袋谷→埼玉県川口市芝新町→住所不定→現住所)
職業
清涼飲料水研究家
All About[コンビニグルメ]担当ガイド

コレクション歴および執筆・マスコミ登場歴

All About[コンビニグルメ]ガイド、スナック菓子等も含むマスコミ露出については、ブログ「久須美雅士のコンビニ巡り」のテーマ「メディア」をご覧ください。

2012年11月
東京新聞11月20日朝刊「アキバから乾杯 ドクターペッパー ゲームに登場 ファン急増」にて人気の理由について取材を受ける。

2012年8月
新潟テレビ21「ヤンごとなき!」にオリンピックネタで再出演。

2012年4月
新潟テレビ21「ヤンごとなき!」第1回放送に出演。

2011年8月
新潟テレビ21「全力LIVE」にて、この夏の炭酸飲料のトレンドについて解説。同社大島直子アナウンサーと。

2010年12月
新潟テレビ21「レクスタ発昼どきキンコンカン」にて、クリスマスと清涼飲料水についてのトリビア。(番組内容はこちら)向かって左は司会のヤン氏、右は大島直子アナウンサー

2010年8月
青梅市「昭和レトロ商品博物館」にて開催された「なつジュー。20世紀飲料博覧會展」において、清涼飲料水研究家・清水りょうこ女史とのトークライブ「私のなつジュー。忘れられないあの飲みもの」に参加。

新潟テレビ21「レクスタ発昼どきキンコンカン」にて清涼飲料水研究についてのレクチャー。(番組内容はこちら)向かって左は司会のヤン氏、右は大島直子アナウンサー。(思い出のファンタ缶は第2世代らしい)

2010年7月
TBSテレビ「ひるおび」の炭酸飲料特集にて、過去に販売された炭酸飲料の容器画像を提供。

2010年6月
ミリオン出版「なつジュー。20世紀飲料博覧會」(清水りょうこ編)に画像を提供。

GON!「ジュースな人々」のインタビューも再掲。

2010年3月
ニッポン放送「小倉淳の早起きGoodDay!」にて「激化する缶コーヒー市場」について生電話出演。

2009年11月
宝島社「VOW21」の珍飲料紹介パート「ドングリVOW!!」にてネタ提供とコメンテーターとして参加。

2007年12月
共同通信社「Kyodo I News」(ドコモIモード)にてコンビニトレンド記事の連載開始。(2009年10月まで)

2007年9月
新潟放送(BSN)「近藤丈靖の独占!ごきげんアワー」内の一コーナー「ごきげん探偵社」の取材を受ける。

2007年7月
リクルートのフリーペーパー「R25」7月12日発売号「ランキンレビュー」の地ジュース紹介記事にてコメント提供。

2007年3月
BSNテレビ「NEXT!」3月9日分に出演。いっしょに出演したゲストの皆さんと。

2007年2月
TBSラジオ「あべこうじのポッドキャスト番長」2月19日〜23日「そのすじ番長」に出演。となりはパーソナリティをやっているお笑い芸人のあべこうじ氏。

2006年11月
シェフ・パティシエ専門学校製菓製パン技術科にて特別講義を行う。

2006年9月
BSN新潟放送テレビ「BSNスペシャル」9月14日放送分「新潟コレクター列伝」の取材を受ける。いっしょに写っているのは田中理紗アナウンサー。(現在、NHK大津放送局キャスター)

2006年8月
読売新聞社「読売ウィークリー」2006年8月20-27日合併号の記事「高齢化直撃!コカ・コーラの憂うつ」にてコメントが掲載される。

2006年5月
リクルートのフリーペーパー「R25」内「ネスカフェ スパークリング・カフェ」紹介記事にて試飲レビューを執筆。

2005年10月
 新潟市内野町で行われたアートイベント「うちのDEアート」で新潟大学美術科の卒業生、佐藤春菜さんの写真作品「ここで確かに」のモデルとなる。(ちなみに展示場所は日本酒「鶴の友」の酒蔵、樋木酒造の屋敷の黒塀)

2005年1月
 KKベストセラーズ刊「CIRCUS」2月号「週末起業講座」で紹介される。

2004年6月
 新潟市民映画館・シネウインド「月刊ウインド」の連載記事「私がメガホンをとったら」第2回を執筆。

2004年5月
 新潟放送(BSN)「江口歩の新潟生事情」にゲストとして出演。左:新潟お笑い集団「NAMARA」代表の江口歩氏、右:NAMARAのお笑い芸人「ヤングキャベツ」の高橋なんぐ氏。
新潟お笑い集団「NAMARA」のホームページへ

2004年1月
 ソフトバンク刊「Yahoo! Internet Magazine」でホームページが紹介される。

2003年6月
 
 新潟お笑い集団NAMARA主催「Dr.久須美のソフトドリンク研究所」に出演。ファンタの歴史についてプレゼンテーションを行う。

2003年1月
 新潟お笑い集団NAMARA主催「ハゲ自慢の祭典」に出演。ハゲに効きそうなソフトドリンクのプレゼンテーションを実演。
 
 新潟県民エフエム放送(FM-Port)「People」にゲストとして出演。(左は司会の新潟日報『キャレル』編集長・阿部聡氏)

2002年8月
 日経BP社「厳選サイトわしづかみ!」(All Aboutガイドの選んだお勧めサイト集)にコメントを掲載。

2002年7月
 宝島社「週刊宝島」7月17日号の特集「専門家が読む!!下半期完全予測150」にコメントが掲載される。

2002年6月
 日本経済新聞社会面「サラリーマンプラザ」の取材を受ける。

2002年3月
 インプレス刊「できるインターネット」5月号「なつかし横丁探偵団」でホームページが紹介される。

2002年2月
 角川書店刊「BSザテレビジョン」のコラム「WEB SITE RECOMMEND」でホームページが紹介される。

2001年12月
 ニューズライン刊「週刊新潟Week!」12月8日発売号より2003年3月22日発売号まで「Dr.久須美のドリンク研究所」を連載開始。(写真は隣のページでコラム「相沢真紀のお仕事日記」を書いていたタレントの相沢真紀ちゃんと)

2001年9月
 新潟県内のWebクリエイター育成コンペ「にいがたデジコングランプリ2001」に協賛。

2001年8月
 新潟県民エフエム放送(FM-Port)「にいがた探検隊」にコメンテーターとして出演。(右は当時司会の江口歩氏。(新潟お笑い集団「NAMARA」代表)

2001年7月
 新潟県北部読売会「新潟よみうり」の連載記事「リレーエッセイ・にいがたのひと」第10回を執筆。

2001年4月
 三雲社「CC JAPAN」創刊号と第2号に飲料記事を掲載。
 BSN新潟放送テレビ「月刊にいがたタウン情報・メルコミ」の取材を受ける。

2001年3月
 明治乳業広報誌「Zappa to Web」で当ホームページが紹介される。
 ジョイフルタウン「月刊にいがたタウン情報」の取材を受ける。
 リクルート「あちゃら」でホームページが紹介される。
 角川書店「さいとデータ」でAll About Japanガイドとして紹介される。

2001年2月
 リクルートと米国アバウト社合弁のポータルサイト「All About」(http://allabout.co.jp/)「コンビニグルメ」カテゴリのサイトガイドに就任。
 インパクの自由参加パビリオン「Yesterday's Softdrinks - Today」が2月の編集長賞を受賞。

2001年1月
 政府主催「インターネット博覧会」(インパク)に自由参加パビリオン「Yesterday's Softdrinks - Today」(http://softdrinks.org/inpaku/)で参加。
 光文社「週刊宝石」2月8日号(1月25日発売)「懐かしの缶ドリンク大全」の取材を受ける。

2000年12月
 「コミックマーケット59」において、著作集「罐想文」(かんそうぶん)を販売。

2000年11月
 ゴマブックス「ホームページガイド」2001冬の号にてホームページが紹介される。

2000年10月
 朝日新聞大阪版夕刊「舌に聞け」の取材を受ける。

2000年9月
 特選街出版「特選街」でホームページが紹介される。
 isao.net『Daily DC News』でホームページが紹介される。
 ニューズライン刊「週刊新潟Week!」9月30日号の「新潟ランキングバラエティ」にて飲料部門執筆を担当。(無署名記事)
 日本経済新聞社「日経ネットナビ」でホームページが紹介される。

2000年8月
 ニューズライン刊「週刊新潟Week!」8月26日号のコンビニグルメ特集の飲料部門執筆を担当。(無署名記事)

2000年6月
扶桑社より「自分史のドリル」(自分史のドリル編集委員会・編)を発行。

2000年4月
扶桑社文庫で「ザ・飲みモノ大百科」を再発行。

2000年3月
 読売新聞刊「週刊読売」のカラーグラビア特集「私設博物館が熱い」で取材を受ける。
 晋遊舎刊「iP!」でホームページが紹介される。見事にURLを間違えられる。

2000年2月
 リクルート刊「あちゃら」でホームページが紹介される。

2000年1月
 ニューズライン刊「週刊新潟Week!」のコレクター特集にて取材を受ける。

1999年12月
 アスキー刊「ホームページベスト5000 2000年版」にて当ホームページが紹介される。飲料ジャンルでの個人ホームページ掲載は「怒濤の缶ジュース情報」と当ページのみ。

1999年11月
 新潟日報夕刊連載「にいがた稀人列伝」の取材を受ける。

1999年10月
 東京都青梅市に設立された「昭和レトロ商品博物館」に、缶ジュースと共に約10年間収集した缶ビール・壜ビールを寄贈。

1999年9月
 新潟テレビ21「小野沢裕子のいきいきワイド」のコレクター特集で取材を受ける。

1999年8月
 「コミックマーケット56」において、「The Fanta History」を発売。
 
1999年7月
 エーアイ出版刊「WWWイエローページVol.7」にて当ホームページが紹介される。

1999年6月
 ソフトバンクパブリッシング刊「PC Life」7月号「読者の広場」内の連載コラム「ホームページの舞台裏」にて取材を受ける。
 小学館刊「女性セブン」7月8日号「マニアな夫・生態図鑑」の取材を受ける。

1999年3月
 マイクロテクノロジーより発売のCD-ROM「日曜研究家・日本大衆商品新発売データ総覧1998」にて写真撮影を担当。

 集英社刊「週刊プレイボーイ」4月6日号(No.14)「地ジュースガブ飲みカタログ」にて取材を受ける。

1999年1月
 ミリオン出版「スーパーニュースマガジンGON!」にて、「ドリンク大王第3回・そっくり缶王者選手権の巻」を執筆。人気投票第3位。

1998年12月
 「コミックマーケット55」において、「CHANGE IT FOR CHEERIO!」を発売。当日用意分は即日完売。

1998年11月
 FMけんと「新潟市青年ネットワークの週刊ネットワーク通信」に出演。

1998年9月
 ミリオン出版「スーパーニュースマガジンGON!」にて、「ドリンク大王第2回・サンガリアの巻」を執筆。この号の記事の人気ランキング第1位(かつワースト5位)に選ばれる。

(協力:ヤマザキデイリーストア新潟寺尾東店)

1998年8月
 名古屋市ナディアスペースにおいて、日曜研究家/B級文化コレクションVol.2「ガムの包み紙ワールド&缶ジュースに歴史あり!」に出展、コレクションのうち500本を展示。
 FM滋賀「レイクサイド・モーニング77」の一コーナー「平和堂 My Daily Life」の特集「水を求めて」で電話インタビューを受ける。

1998年6月
 新潟日報夕刊にてエッセー「観缶楽学」(かんかんがくがく)を同年8月まで連載。

1998年5月
 FM新潟「小林三四郎のGOINにMY WAY」でインタビューを受ける。年末の「GOINにMY WAY大賞」に選ばれる。
 ミリオン出版「スーパーニュースマガジンGON!」にて、「ドリンク大王第1回・ジョージアの巻」を執筆。同誌始まって以来の清涼飲料大特集。

1998年4月
 日本経済新聞・土曜版「Saturday "X" Nikkei」の特集「B級『お宝』本 出版続々」にて、「ザ・飲みモノ大百科」が紹介される。

1998年3月
 ビバリッジ・ジャパン社刊の飲料業界誌「ビバリッジ・ジャパン」1998年3月号(No.195)にて、「ザ・飲みモノ大百科」が紹介される。

1998年2月
 日経流通新聞の特集「追って!はまった…私は日曜研究家」にて「The Archive of Softdrinks」が紹介される。
 新潟日報夕刊のリレーエッセー「私の好きなことば」に寄稿。
 新潟県立図書館に「ザ・飲みモノ大百科」を寄贈。

1998年1月
 「日曜研究家」主筆、串間努氏と共著で「ザ・飲みモノ大百科」(扶桑社刊)を執筆。

1997年12月
「コミックマーケット53」において、「磁盤汁粉」を販売。

1997年9月
 大阪よみうりテレビ「大阪ほんわかテレビ」のコレクター特集にて取材を受ける。2度目のテレビ出演。

1997年8月
「コミックマーケット52」において、「スポーツドリンクの図缶」を再発。
 集英社刊「週刊プレイボーイ」9月2日号(No.36)モノクログラビア「恐るべき日曜研究家の世界!」において「空き缶研究家」として紹介される。

1997年7月
 婦人画報社「メンズクラブ」439号(97年8月号)の特集「愛すべき異端児たち」において、「二度と飲めないジュースたち」として、最近消えたジュースのベスト6を執筆。

1997年2月
 ミリオン出版「スーパーニュースマガジンGON!」の名物コーナー「ドリンクV」(現在「グルメJUNKY'S」に名称変更)において、「The Archive of Softdrinks in GON!」の連載を開始。以後、同コーナーのレギュラー執筆者となる。

1997年1月
 マガジンハウス刊「リラックス」2月号の「情報フリーマーケット」にて、沖縄バヤリースの紹介記事を執筆。以後98年4月号まで、同コーナーにて清涼飲料に関する記事を連載。
 毎日新聞社刊「PC倶楽部」3月号「CommuNet・NIFTY-Serveコレクターズフォーラム編」に登場。

1996年12月
 日曜研究社「日曜研究家7号」編集後記において、「新潟市の缶飲料博物館」として紹介される。(同月、『日曜研究家』串間努主筆、当アーカイブを視察される)

1996年10月
 朝日新聞東京版夕刊連載「めでる」に登場。

1996年8月
 「NETWORKERS'96 おふらいんまつり」にコレクターズフォーラムが出展、テレビ朝日「Web」の取材を受け、清涼飲料水研究家として紹介される。
 収蔵品公開のためのホームページ "The Archive of Softdrinks"を開設。英語版ページも作ったが、閲覧者皆無であることと、英文への翻訳が難儀なため、開設後10日で閉鎖。現在日本語版ページのみ。

1996年7月
 ミリオン出版「スーパーニュースマガジンGON!」のコラム「ジュースな人々」にて再度コレクションを公開。
 講談社「ViVi」の特集「コンビニのドリンク、どれがやせる!?」の企画において参考文献を提供。

1996年1月
 ニフティサーブ会員誌「オンライン・トゥディ・ジャパン」でコレクターズフォーラムの特集が掲載される。会員座談会に出席。

1995年12月
 ミリオン出版「スーパーニュースマガジンGON!」の人気コーナー「日本一まずい缶ジュースを探せ!」に味見人として参加。以降、同コーナーにおいて情報および試飲缶ジュースの提供や味見人としての参加を行う。

1995年11月
 集英社刊「少年ジャンプ」11月6日号(1995年47号)掲載の秋元治著「こちら亀有公園前派出所・進め!両さん鑑定団の巻」(単行本96巻に掲載)の中で、両津勘吉巡査の友人の空き缶収集家のモデルとされた模様。(ブルータス掲載の写真を参考に作画したものと思われる)

1995年8月
 マガジンハウス「ブルータス」第2回コレクター特集においてコレクションを発表する。

1995年7月
 ニフティサーブ・コレクターズフォーラムに「商品パッケージ」会議室設置、議長に就任。

1994年11月
 マガジンハウス「ダカーポ」DTP特集にて寄稿。

1994年9月
 ニフティサーブ・コレクターズフォーラム(FCOLL)に参加。

1994年1月
 上記「日本のソフトドリンク大図缶」より、スポーツドリンクのみをピックアップし、「スポーツドリンクの図缶」を発行。関係者および一部マスコミに配付。この「図缶」の発行日(1994年1月12日)をソフトドリンク・アーカイブの創立記念日に制定する。

1993年9月
 集英社刊「ヤングジャンプ」10月14日号の一コーナー「エゴイストの巣・自販機太郎のいやん・ばカン」に「自由研究家・久須美雅士」としてマスコミに初登場。

1993年1月
 「日本のソフトドリンク大図缶」を制作することを考えつき、編纂を開始。

1991年
 ビール缶は収集クラブがあるのを知り、くやしくてジュース缶の収集に切り換える。それ以来、いたる所に捨ててあるジュース缶拾いが始まる。当時、埼玉県川口市に住んでおり、首都圏各地を缶収集のために歩き回る。同年秋、新潟市に転居。

1990年
 当年暮れに社員旅行で行った台湾にて台湾版コカ・コーラ製品を入手したのを契機にジュース缶の収集を思いつくが、膨大な量になるのを恐れてビール缶の収集を始める。

1988年
 仕事で中国北京に出張。可口可楽(コカ・コーラ)の瓶と缶を入手したのを契機に日本のジュース瓶(店に返すとお金が返ってくる瓶)とファンタの収集を始める。

1982年
 東京へ情報処理技術者試験に行ったときに、小学校の頃から飲みたかったドクターペッパーを入手。飲んだ記念に缶を保存。

1977年
 5〜6年飲むことのなかったバャリース・オレンヂを偶然見つけて、懐かしくなり保存。この年、県外に合宿に行った運動部にいた友人からの「新潟に無いファンタがある」との一言で、コカ・コーラ製品の収集を思いつくが、1988年まで忘れる。大瀧詠一「ナイアガラCMスペシャル」で三ツ矢サイダーのCMソングを知ったのもこの年の夏。


戻る